マッドハッターの保存の壺ブログ
ゲーム、小説、オカルトニュースなど気になったことを、日記として徒然に書いていく予定です。
今日は終戦記念日
例によって中国韓国の日本批判がかまびすしい。
そんな中、↓のニュースが目にとまった。

オランダ人司教殺害の正定事件で慰安婦めぐる“史実”が独り歩き…仏外交資料に見当たらず 南京事件に関連づける動きも

以下抜粋引用。

 1937(昭和12)年10月に中国河北省正定でオランダ人のカトリック司教ら9人が殺害された「正定事件」をめぐり、「日本軍が慰安婦とするために中国人女性を要求したが司教らは拒否したため殺害された」との説が“史実”として独り歩きしている。欧州では司教らが教会施設に避難してきた女性たちを命がけで守ったとして、聖者に次ぐ「福者」にしようとする列福の動きがある。しかし、当時の日仏外交当局の書簡にはそうした記述がないことが14日までに分かった。

 書簡は仏西部ナントの外交史料館に保存されている37年10月23日付の在北京仏大使館員が駐中国大使に宛てた書簡から、38年5月24日付の在ローマ仏閣外相の書簡まで。スイス在住の日本人女性が入手した。

 仏政府が史料を保管しているのは事件調査に関与していたためとみられる。殺害されたオランダ人のシュラーベン司教はパリの宣教会から派遣されていたうえ、フランス人司祭も犠牲になっている。

 史料によると、事件から3日後に現地入りしたオランダ人神父が使用人から聞いた話として「強奪者は十数人で全員日本の軍服を着ていた。連隊の帽子ではなく、フェルト帽をかぶっていた。(中略)彼らは満州の“赤ひげ”つまり山賊だと話し、国に帰るのにお金を欲しがった」という。

中略

 正定に進軍したのは終戦後、南京軍事法廷で「大虐殺を引き起こした」として死刑判決を受け、処刑された陸軍中将の谷寿夫氏が率いる部隊だった。このことから正定事件は谷氏の部隊が引き起こしたとして「南京事件」と関連づける動きもある。

 

 

 ■正定事件(せいていじけん) 戦時中の1937年10月9日ごろ、旧日本軍による攻略直後の中国河北省正定でフランスのカトリック宣教会が襲われ、司教を含む9人が殺害された事件。日本は当時、調査に基づき日本軍の犯行ではないと結論づけたが、教会を管轄する仏側に正定の統治者としての責任から見舞金を支払った。仏政府も犯人を特定できないまま38年4月に「今後、問題を提起しない」と表明した。


事件が起こった当時の調査で日本軍の犯行ではないとされ、被害者側もそれ以上追求しなかったのだからその事実を尊重するべきだと思うのだが…
こうして都合の良い「歴史」は作られるんだろうな。

8月9日。
長崎の原爆の日。
例の学童保育の仕事に行っていた。
外遊びの時間てのがあって、生徒のうちの希望者は校庭でボール遊びなどをする事になっている。
その日の希望者は主に野球部のメンバーで総勢5人。
人数が少なかったので、私一人が付き添うことになった。
付き添いは何をするかというと、適宜水分補給を呼びかけたり危険な事をしないように監督するのである。
少人数だったのでみんな一緒にサッカーを始めた。
一回目の小休憩をとった時、生徒の一人が「先生、今何時?」と訊いてきた。
10時50分ぐらいだった。
あとどのぐらい外遊びできるか、確認したかったのだろうと思った。

11時過ぎ。
突然サイレンが鳴った。
と。
いままでボール遊びに熱中していた生徒達が、突然ボールを置いて全員西を向いた。
こいつら全員覚えてたんだな、と思いつつ「黙祷!」と号令をかける。
てか、その前に既に彼らは黙祷していたが(笑)。
サイレンが鳴り止むまで約一分間黙祷してから、彼らはまた何事も無かったようにサッカーに夢中になっていた。

人によって感じ方はそれぞれかも知れないが…。
いつもやんちゃで問題児の多い野球部の男子が、なんだか可愛いなと思ってしまった。
彼らの死者を哀悼する気持ちに感動してしまった。
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