マッドハッターの保存の壺ブログ
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ロンドンでローマ時代のメモを発見!…西暦57年?
昨日に続き歴史に関するニュース。

2016.6.5 08:26
英国で発見、古代ローマ時代のメモ帳 「西暦57年1月8日」という日付に書かれていたこととは…


以下引用。

 ロンドンの中心部、金融会社ブルームバーグの新社屋建設現場で、古代ローマ時代の木製の手書き板405枚が見つかった。中には「借用書」も含まれているという。動画で紹介。

ロンドンで、2012~14年にかけて発掘された古代ローマ時代の「手書き板」の詳細が発表された。解読の結果、なかには「借用書」も含まれていたという。

405枚の木製の手書き板が見つかったのはロンドンの中心部で、金融会社ブルームバーグの新社屋の建設現場に近い場所だった(ローマ時代に築かれた「ロンディニウム」の中心部は、現在のシティ・オブ・ロンドンに当たる地域。なお、ロンディニウムとは先住民族ケルト族の言葉で「沼地の砦」を意味していた)。

ある1枚には、西暦57年1月8日という日付が書かれていた。別の板の日付は西暦43年ころで、これは古代ローマ人が英国の地域を支配した最初期の時期にあたる。

さらに別の板には、ロンドンに関する最も古い記述があるが、これはローマ時代の歴史家・タキトゥスが、自身の著作でロンドンについて記述した時期よりさらに50年前にあたるという。
以下略。

保存状態も良いようだし、こりゃすごく貴重な資料だな、と思う反面「?」な部分も。

ある1枚には、西暦57年1月8日という日付が書かれていた

これを文字通り受け取って良いのかどうか(笑)。
西暦57年って…イエス・キリストが生まれてまだ60年ぐらいしか経っていないということだ。
当時キリスト教は迫害されており…なんてことを書くまでもないと思うがあからさまに不自然。
ローマ帝国の国教となったのは確か4世紀だぞ?
その木の板に「西暦57年」などと書かれているはずがない。
本物なら。

一応念のため西暦を使用し始めた年代を調べてみた。

西暦←ウィキペディア。

以下抜粋引用。

誕生[編集]
西暦は6世紀のローマの神学者ディオニュシウス・エクシグウスによって算出された[2]。525年、ディオニュシウスはローマ教皇ヨハネス1世の委託を受けてキリスト教の移動祝日である復活祭の暦表(復活祭暦表)を改訂する際に、当時ローマで用いられていたディオクレティアヌス紀元(ローマ皇帝ディオクレティアヌスの即位を紀元とする)に替えて、イエス・キリストの受肉(生誕年)の翌年を元年とする新たな紀元を提案した。これはディオクレティアヌスがキリスト教の迫害者であり、その迫害者の名を残す事が疎まれたからである[2]。
聖書の記述によると、イエスが復活した日はユダヤ教の過越の祭り(春分の頃の最初の満月の日)の前日から三日目の日曜日(主日)であり、伝承では「ユダヤ暦でニサンの月の14日」(ユリウス暦の3月25日)とされていた。ディオニュシウスはイエスの生誕年を求めるにあたり、ディオクレティアヌス紀元279年が、伝えられるイエスの復活した日の状況と合致することを発見した[3]。そこで、ここから過越の祭りと同日である復活祭の日付が532年で一巡するという当時の知識に基づき、一巡に要する532年にその時のイエスの年齢が「満30歳であった」とする当時の聖書研究者の見解を根拠として、31年を加えた[3]。これにより「ディオクレティアヌス紀元279年=キリスト紀元563年」の等式が成り立ち、この年号を出発点として他の年号が求められた[3]。ディオニシウスはこの年号を「主の体現より (ab incarnatione Domini)」と表した[2]。また、紀元の始点を(イエス生誕の12月25日ではなく)1月1日までさかのぼらせた[3]。
受容[編集]
西暦1年から531年までは概念上の存在であり、実際の紀年法として使用されたことはない。その後も長らくこの紀年法は受け入れられず、731年にベネディクト会士ベーダ・ヴェネラビリスが『イングランド教会史(イギリス教会史)』をキリスト紀元で著してから徐々に普及し、10世紀頃にようやく一部の国で使われ始め、西欧で一般化したのは15世紀以降のことであるという。
西暦が国際社会でもっとも用いられる年号となったのは、キリスト教圏であるヨーロッパ各国の世界進出や植民地拡大により非キリスト教国でも西暦が普及したからである。


ということであるらしい。
ルネッサンスや大航海時代とほぼ同じ年代から使用が広まった、というのは興味深い。
共有する文化を持つヨーロッパ人、キリスト教徒としてのアイデンティティーを確立するためだったのかも?などと考えてしまう。

でもってニュースの木の板なのだが…
おそらく当時ローマで使用されていた暦の年を西暦に直して記事は書かれているのだろう。

気になる内容は借用書であったり取引の記録であったりするようだ。
貨幣経済の確立していたローマならではというか…文字の普及があったから貨幣経済が成り立ったのかなぁ。
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